浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所
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新mp3法話 第59集 ①真光寺 原田憲司 ②浄満寺 井浦 恩
新mp3法話の第59集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第59集 その1 「おどろきやすきなり」 音声版ダウンロード
第59集 その1 「おどろきやすきなり」 PDF版ダウンロード
真光寺 原 田 憲 司
仏様のおはなし新シリーズ 第59集 その2 「ほんとうのこと」 音声版ダウンロード
第59集 その2 「ほんとうのこと」 PDF版ダウンロード
浄満寺 井 浦 恩
◎広報部
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
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仏様のおはなし新シリーズ 第59集 その1 「おどろきやすきなり」 音声版ダウンロード
第59集 その1 「おどろきやすきなり」 PDF版ダウンロード
真光寺 原 田 憲 司
仏様のおはなし新シリーズ 第59集 その2 「ほんとうのこと」 音声版ダウンロード
第59集 その2 「ほんとうのこと」 PDF版ダウンロード
浄満寺 井 浦 恩
◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第59集 その1 「おどろきやすきなり」
浄土真宗では、ありがたい念仏者のことを妙好人と呼び、ほめたたえています。その妙好人の一人に、名前を源左(げんざ)といって、このような話が残っています。
ある日、源左さんが夕立ちにあい、びしょ濡れになって帰って来ました。その姿を見た村人が「よう濡れたのう、大丈夫か」と尋ねると、源左は「ありがとうござんす、鼻が下を向いとるで有難いぞなあ。」と答えました。
この短いやりとり、皆さんはどのように感じましたか。私たちは、鼻が下を向いているなんて気にとめず、まして有難いと思わずに生活していることでしょう。しかし、源左さんは夕立ちにあって、気づいたのです。「鼻が下に向いとる」ことの有難さに。もし、「鼻が上に向いとる」のなら、雨が入って大変なことになります。その一見すると当たり前のことをよろこんでおられるのです。
本願寺八代目の蓮如上人のお言葉に、『ひとたび仏法をたしなみ候う人はおほやう(おおらか)なれどもおどろきやすきなり』とあります。
仏法に縁あったならば、私は様々な支え・お陰を頂きながらここに存在しているという事実に気づかされます。それによって、もよおされるのは、ひとつひとつの出来事は驚きであって、よろこばずにはおれない事ばかりだったということです。
今一度、私たちは、周囲を見渡し見直してみませんか。例えば、朝、目が覚めること。食事がおいしく頂けること。お腹に入ったものが外に出てくれること。これまで、あれもこれも当たり前と見過ごしていたものが実はどれも素晴らしく、有難いものとして受け取っていけるのではないでしょうか。そして、その思いを大事にとどめていきたいものです。
仏様のおはなし新シリーズ 第59集 その2 「ほんとうのこと」
私が持っている物事の見方は、その時々の感情や環境、政治や経済で二転三転します。昨日まで仲が良かった人と、今日はケンカをしたり、時にはその価値観が暴力となって他を攻撃することもあります。このような私にいかに私が自分中心に物事をとらえているか、を気がつかせてくださるのが阿弥陀様という仏様です。
アフガニスタンで医療活動を行い、福岡に本拠地があるNGOの「ペシャワール会」をご存知ですか?会の代表である中村哲さんが1984年アフガニスタンに赴任し、今年で30周年を迎えます。その活動は、お金や政治的方法で援助するのではなく、とにかく現地で井戸を掘ったり、医療を施すという「現地主義」。「みんなが行くところには誰かが行くから行かなくてもよい。誰も行かないところにこそ行く必要がある。」と中村さんはおっしゃっています。それは「みんな同じことを言い、同じ方向に動き始めるとそこには虚構があるのではないか」ということを現場で感じられて生まれた言葉だそうです。日本に流れてくるニュースはどれも似たり寄ったり。私達が新聞・テレビ等で知らされているアフガニスタン情勢はアフガニスタンのほんの一部なのだと教えていただきました。本当のことと思っていたことが実は違う。真実を見る、聞く、知る、ということはとても難しいことです。
阿弥陀様の光は国も人種も越えすべての生きているものへ、まさに太陽の光のように平等に降り注がれています。光に照らし出された自分の影。その影は自分中心に物事を見ている私の姿。自分の影を見たときに、私は初めて自分の中の闇に気がつかされます。私が真実だ、と思っていることは本当に真実なのでしょうか?
アフガニスタン情勢に限らず、日本の中でも原発や復興支援等いろいろな問題があります。何が問題の本質か、自分には何ができるか、をしっかり考え取り組んでいきたいと思います。
浄土真宗では、ありがたい念仏者のことを妙好人と呼び、ほめたたえています。その妙好人の一人に、名前を源左(げんざ)といって、このような話が残っています。
ある日、源左さんが夕立ちにあい、びしょ濡れになって帰って来ました。その姿を見た村人が「よう濡れたのう、大丈夫か」と尋ねると、源左は「ありがとうござんす、鼻が下を向いとるで有難いぞなあ。」と答えました。
この短いやりとり、皆さんはどのように感じましたか。私たちは、鼻が下を向いているなんて気にとめず、まして有難いと思わずに生活していることでしょう。しかし、源左さんは夕立ちにあって、気づいたのです。「鼻が下に向いとる」ことの有難さに。もし、「鼻が上に向いとる」のなら、雨が入って大変なことになります。その一見すると当たり前のことをよろこんでおられるのです。
本願寺八代目の蓮如上人のお言葉に、『ひとたび仏法をたしなみ候う人はおほやう(おおらか)なれどもおどろきやすきなり』とあります。
仏法に縁あったならば、私は様々な支え・お陰を頂きながらここに存在しているという事実に気づかされます。それによって、もよおされるのは、ひとつひとつの出来事は驚きであって、よろこばずにはおれない事ばかりだったということです。
今一度、私たちは、周囲を見渡し見直してみませんか。例えば、朝、目が覚めること。食事がおいしく頂けること。お腹に入ったものが外に出てくれること。これまで、あれもこれも当たり前と見過ごしていたものが実はどれも素晴らしく、有難いものとして受け取っていけるのではないでしょうか。そして、その思いを大事にとどめていきたいものです。
真光寺 原 田 憲 司
仏様のおはなし新シリーズ 第59集 その2 「ほんとうのこと」
私が持っている物事の見方は、その時々の感情や環境、政治や経済で二転三転します。昨日まで仲が良かった人と、今日はケンカをしたり、時にはその価値観が暴力となって他を攻撃することもあります。このような私にいかに私が自分中心に物事をとらえているか、を気がつかせてくださるのが阿弥陀様という仏様です。
アフガニスタンで医療活動を行い、福岡に本拠地があるNGOの「ペシャワール会」をご存知ですか?会の代表である中村哲さんが1984年アフガニスタンに赴任し、今年で30周年を迎えます。その活動は、お金や政治的方法で援助するのではなく、とにかく現地で井戸を掘ったり、医療を施すという「現地主義」。「みんなが行くところには誰かが行くから行かなくてもよい。誰も行かないところにこそ行く必要がある。」と中村さんはおっしゃっています。それは「みんな同じことを言い、同じ方向に動き始めるとそこには虚構があるのではないか」ということを現場で感じられて生まれた言葉だそうです。日本に流れてくるニュースはどれも似たり寄ったり。私達が新聞・テレビ等で知らされているアフガニスタン情勢はアフガニスタンのほんの一部なのだと教えていただきました。本当のことと思っていたことが実は違う。真実を見る、聞く、知る、ということはとても難しいことです。
阿弥陀様の光は国も人種も越えすべての生きているものへ、まさに太陽の光のように平等に降り注がれています。光に照らし出された自分の影。その影は自分中心に物事を見ている私の姿。自分の影を見たときに、私は初めて自分の中の闇に気がつかされます。私が真実だ、と思っていることは本当に真実なのでしょうか?
アフガニスタン情勢に限らず、日本の中でも原発や復興支援等いろいろな問題があります。何が問題の本質か、自分には何ができるか、をしっかり考え取り組んでいきたいと思います。
浄満寺 井 浦 恩
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