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浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所

浄土真宗本願寺派 福岡組(ふくおかそ)の情報配信所へようこそ。

2014/06/28

新mp3法話 第60集 ①光円寺 速水 顕 ②妙泉寺 木村紹子

mp3法話の第60集をお届けいたします。

MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。

仏様のおはなし新シリーズ 第60集 その1 「命の行き先」 音声版ダウンロード
第60集 その1 「命の行き先」 PDF版ダウンロード
光円寺 速 水 顕

仏様のおはなし新シリーズ 第60集 その2 「お念仏にみつけられた私」 音声版ダウンロード
第60集 その2 「お念仏にみつけられた私」 PDF版ダウンロード
妙泉寺 木 村 紹 子

◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第60集 その1 「命の行き先」

 私たちが新しくお墓を建てますと墓前で「建碑式」というお勤めをいたします。いつだったかその建碑式のお勤めとさせていただきました際に、「この度お墓を建てて私の行き先が決まりましたのでこれで安心しました。」とおっしゃった方がおられました。確かにお墓はご遺骨の行き先ではありますけれども、私たちの本当の命の行き先ではありません。
言うまでもなく私たちの本当の命の行き先はお浄土ではありますが、行き先といってもそれは死んだ先の何か遠くを眺めているような世界ではなく、今ここに開かれて、今のこの私の真のよりどころとさせていただけるものでなければならないのではないでしょうか。
たとえば浅原才市さんの詩に
  才市やどこにおる
  浄土貰うて娑婆に居る
  これがよろこびなむあみだぶつ
というものがあり、これはそのこころをうまく表しているのではないかと思います。
 つまり自分自身が今どこにいるのかという問いに、私は娑婆世界にいながらお浄土をいただいている、そしてそのことが喜びであるのだといって南無阿弥陀仏とお念仏で結んでおられます。
 思えば人生においては、時として思わぬ災難に遭遇することもありますし、また私たちがいかに慎ましく生きようとしても悩み苦しみは多く尽きません。親鸞聖人はそうした人間の悩み苦しみ、心煩わすものは臨終まで消えることはないとおっしゃっておられます。しかし私たちの人生におけるどのような出来事も「ご縁」としていただける世界を持つことはできると、その生涯をかけてお示しくださいました。お正信偈にある「煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり」とはそういったことであります。
 悩み苦しみのこの娑婆世界にいながら、お念仏を通じてお浄土という真実の世界の仲間に加えさせていただける喜びを、おりにふれて聞き、心に感じ取ることが私たちにとって大切なことでありましょう。

光円寺 速 水 顕



仏様のおはなし新シリーズ 第60集 その2 「お念仏にみつけられた私」

 みなさんはご利益という言葉を聞いて何を連想しますか?家内安全や無病息災、縁結びなどがありますが、ここでは、親鸞さまがお教え下さっているご利益について考えたいと思います。
私は以前、海外の大学で日本文化学科の学生たち達と生活を共にし、授業のお手伝いをさせてもらう機会に恵まれました。興味のあった分野にチャンスを与えられた気がして当時の職場を辞めてまで、そちらに赴きました。そこは、仏教の講義や、やってみたかったことの全てがそろった所でした。私はゆっくり現地に親しむより先に、自分の興味のある事に力を注ぎたいととにかく頑張りました。すると次第に、周りの学生たちのペースから自分が遠ざかっていることにも気が付かなくなっていました。それでも当時の私は、貴重な環境を無駄にしたくない一心で、自身の向上心だけで考え動いていたように思います。
ある日、自分の体が突然いうことをきかなくなったのです。体中に原因不明の蕁麻疹ができ、悪寒が走り、ついには部屋から一歩も動けなくなってしまいました。私はベッドの上で何日も悶々と時間を過ごし、何をしにきたのかと情けない気持ちで天井ばかりを見上げる日々でした。ある夜、心身共に疲れた私は帰国するかの決断の最中、ふと「南無阿弥陀仏」と声に出していたのに気が付きました。同時に、不思議と肩の力がふっと抜けてきたのを覚えています。努力すれば物事が通り、それが幸せにつながると、どこかで過信していた今までの私の価値観が崩れた時に、どんな大学の講義からも気が付けなかった、「自分を支えてくれている世界をわすれてはいけない」という仏様のお声が聞こえたような気がしました。
「南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は 百重千重囲繞して よろこびまもりたもふなり」という親鸞聖人のご和讃があります。思い上がった考えは自分の力ではどうにも変えられない、だからこそいいときだけではなく悩めるときこそお念仏を申すことが自分を深く見つめる機縁になる。それが、仏法に出遇える道筋であり、自らの幸せだけを願うご利益よりも大切なご利益なのだと教えて下さっているのではないでしょうか。

妙泉寺 木 村 紹 子

≪ 2014年度 はじめて法話を聞く人のつどいのご案内ホーム新mp3法話 第59集 ①真光寺 原田憲司 ②浄満寺 井浦 恩 ≫

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お念仏にみつけられた私

早速「福岡組」の第60集に書かれていた文章見ました。
次回、若院の「指月のたとえ」を見たいと思います。
このPCは音声が出ません。文のみで各寺の文のみで拝読しています。

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