浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所
浄土真宗本願寺派 福岡組(ふくおかそ)の情報配信所へようこそ。
新mp3法話 第72集 ①浄満寺 倉地弘行 ②圓正寺 大野晴雄
mp3法話の第72集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第72集 その1 「浄土真宗の救いの喜び」 音声版ダウンロード
第72集 その1 「浄土真宗の救いの喜び」 PDF版ダウンロード
浄満寺 倉 地 弘 行
仏様のおはなし新シリーズ 第72集 その2 「拯い(すくい)」 音声版ダウンロード
第72集 その2 「拯い(すくい)」 PDF版ダウンロード
圓正寺 大 野 晴 雄
◎広報部
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第72集 その1 「浄土真宗の救いの喜び」 音声版ダウンロード
第72集 その1 「浄土真宗の救いの喜び」 PDF版ダウンロード
浄満寺 倉 地 弘 行
仏様のおはなし新シリーズ 第72集 その2 「拯い(すくい)」 音声版ダウンロード
第72集 その2 「拯い(すくい)」 PDF版ダウンロード
圓正寺 大 野 晴 雄
◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第72集 その1 「浄土真宗の救いの喜び」
阿弥陀如来の本願は かならず救うまかせよと 南無阿弥陀仏のみ名となり たえず私によびかけます
この言葉で始まるお言葉は「拝読浄土真宗のみ教え」の中の「浄土真宗の救いの喜び」から戴きました。この言葉を戴きます時、仏さまは常に「かならず救う我にまかせよ」と呼びかけて下さる仏様の声の中にいます。
私の父は職業軍人でしたが、七十年前に終わった先の大戦で亡くなりました。私は父の死のひと月後にこの世に生を受けました。当然、父には一度もあっていませんが、数少なく残るセピア色の写真だけが父との接点です。
恐らく、戦後七十年の今年、戦争で身内を亡くされた多くの方々が、悲しみを新たに涙しておられるのではないかと、自らの父をしのびながら思います。
父はきっとお浄土で仏となって、今でも私に寄り添ってくれていると信じますとき、一度も会わなかった父ではありますがありがたいことです。
阿弥陀如来は、「すべての迷い苦しむものを救わずにはおかない」という願いをたてて修行され、その完成した願いを南無阿弥陀仏のこころとして私たちにめぐんで下さいました。
これからも、そこに込められた「まことのこころ」を聞き開く日々を改めて感謝しながらすごしたいと願っています。
仏様のおはなし新シリーズ 第72集 その2 「拯い(すくい)」
お彼岸の中日も終わり、お参りに来られる方も少なくなっきた二十四日の夕方、テレビを見ていると、茨城県の鬼怒川の堤防が決壊して水害が発生。その時警察や消防に救助要請が相次いだそうですが、思うように救助活動が出来なかった様子が報道されていました。この時、ふと救助活動はどのような順番でされていたのかを考えてしまい、次のような話を思い出しました。
それは、京都嵐山に臨済宗の天竜寺というお寺があります。そこの管長にもなられた方で、橋本峨山さんというお坊さんが、ある公演で次のようなお話をされたそうです。
「ここに大きな池があります。この池にあなた方の実のお母さんとあなた方の奥さんが溺れかけています。一刻も早く助けなければなりません。あなたは方は、一体どちらを先に助けますか。」と聞きに来られた方に訪ねたそうです。
さてこれを聞かれているあなたは、どちらを先にたすけますか。一度で二人を、同時に助けることは出来ません。親を先にたすけますか、それとも奥さんを先に助けますか。
迷うところです。どちらを先に助けるのか、どちらを先に助けるにも、それぞれに言い分はありますでしょう。
そこでその管長さんは、「仏様のものの見方からすれば、近くのものから先に助ける」と言われるのです。仏様のものの見方は、私たちと異なり、レッテルを貼ってものを見るのではないのです。「お母さん」「奥さん」というレッテルを貼らなければ、近くにいる人から助けるという答えなのです。
では浄土真宗の阿弥陀如来さまは、どうでしょうか。浄土真宗の阿弥陀如来さまは、今にも溺れて沈みかけようとしている人を先に助け、溺れていても余裕のある人はその次なのです。レッテルを貼ったものの見方をされないことは一致していますが、他の仏様と阿弥陀如来さまの異なるところだと思います。
阿弥陀如来様は、身分が貴いとか卑しいとか、男性だから女性だから、罪が多いとか少ないとか、信じたから信じていないとかを問題にせず、あらゆる人々に等しくはたらいていますが、先に助けなければならない人から助けられるのだと思います。
さて私は、先なんでしょうか、後なのでしょうかね。どちらなのでしょうかね。
阿弥陀如来の本願は かならず救うまかせよと 南無阿弥陀仏のみ名となり たえず私によびかけます
この言葉で始まるお言葉は「拝読浄土真宗のみ教え」の中の「浄土真宗の救いの喜び」から戴きました。この言葉を戴きます時、仏さまは常に「かならず救う我にまかせよ」と呼びかけて下さる仏様の声の中にいます。
私の父は職業軍人でしたが、七十年前に終わった先の大戦で亡くなりました。私は父の死のひと月後にこの世に生を受けました。当然、父には一度もあっていませんが、数少なく残るセピア色の写真だけが父との接点です。
恐らく、戦後七十年の今年、戦争で身内を亡くされた多くの方々が、悲しみを新たに涙しておられるのではないかと、自らの父をしのびながら思います。
父はきっとお浄土で仏となって、今でも私に寄り添ってくれていると信じますとき、一度も会わなかった父ではありますがありがたいことです。
阿弥陀如来は、「すべての迷い苦しむものを救わずにはおかない」という願いをたてて修行され、その完成した願いを南無阿弥陀仏のこころとして私たちにめぐんで下さいました。
これからも、そこに込められた「まことのこころ」を聞き開く日々を改めて感謝しながらすごしたいと願っています。
浄満寺 倉 地 弘 行
仏様のおはなし新シリーズ 第72集 その2 「拯い(すくい)」
お彼岸の中日も終わり、お参りに来られる方も少なくなっきた二十四日の夕方、テレビを見ていると、茨城県の鬼怒川の堤防が決壊して水害が発生。その時警察や消防に救助要請が相次いだそうですが、思うように救助活動が出来なかった様子が報道されていました。この時、ふと救助活動はどのような順番でされていたのかを考えてしまい、次のような話を思い出しました。
それは、京都嵐山に臨済宗の天竜寺というお寺があります。そこの管長にもなられた方で、橋本峨山さんというお坊さんが、ある公演で次のようなお話をされたそうです。
「ここに大きな池があります。この池にあなた方の実のお母さんとあなた方の奥さんが溺れかけています。一刻も早く助けなければなりません。あなたは方は、一体どちらを先に助けますか。」と聞きに来られた方に訪ねたそうです。
さてこれを聞かれているあなたは、どちらを先にたすけますか。一度で二人を、同時に助けることは出来ません。親を先にたすけますか、それとも奥さんを先に助けますか。
迷うところです。どちらを先に助けるのか、どちらを先に助けるにも、それぞれに言い分はありますでしょう。
そこでその管長さんは、「仏様のものの見方からすれば、近くのものから先に助ける」と言われるのです。仏様のものの見方は、私たちと異なり、レッテルを貼ってものを見るのではないのです。「お母さん」「奥さん」というレッテルを貼らなければ、近くにいる人から助けるという答えなのです。
では浄土真宗の阿弥陀如来さまは、どうでしょうか。浄土真宗の阿弥陀如来さまは、今にも溺れて沈みかけようとしている人を先に助け、溺れていても余裕のある人はその次なのです。レッテルを貼ったものの見方をされないことは一致していますが、他の仏様と阿弥陀如来さまの異なるところだと思います。
阿弥陀如来様は、身分が貴いとか卑しいとか、男性だから女性だから、罪が多いとか少ないとか、信じたから信じていないとかを問題にせず、あらゆる人々に等しくはたらいていますが、先に助けなければならない人から助けられるのだと思います。
さて私は、先なんでしょうか、後なのでしょうかね。どちらなのでしょうかね。
圓正寺 大 野 晴 雄
Comment
コメントの投稿
Track Back

Copyright © 浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所. all rights reserved.
Template by はじめてのブログデザイン
はじめてのブログ作成