浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所
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新mp3法話 第73集 ①浄満寺 井浦 恩 ②妙泉寺 木村紹子
mp3法話の第73集をお届けいたします。 ●
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第73集 その1 「お釈迦様と阿弥陀さま」 音声版ダウンロード
第73集 その1 「お釈迦様と阿弥陀さま」 PDF版ダウンロード
浄満寺 井 浦 恩
仏様のおはなし新シリーズ 第73集 その2 「祖父の歌」 音声版ダウンロード
第73集 その2 「祖父の歌」 PDF版ダウンロード
妙泉寺 木 村 紹 子
◎広報部
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
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仏様のおはなし新シリーズ 第73集 その1 「お釈迦様と阿弥陀さま」 音声版ダウンロード
第73集 その1 「お釈迦様と阿弥陀さま」 PDF版ダウンロード
浄満寺 井 浦 恩
仏様のおはなし新シリーズ 第73集 その2 「祖父の歌」 音声版ダウンロード
第73集 その2 「祖父の歌」 PDF版ダウンロード
妙泉寺 木 村 紹 子
◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第73集 その1 「お釈迦様と阿弥陀さま」
毎月第2土曜日はお寺の子ども会。子どもたちはお勤めとご法話をいただいた後、ゲームをして遊びます。本堂は子どもたちの元気な声で賑やかです。ある時、その中のひとりの子どもに尋ねられました。「おしゃかさまとあみださまはいっしょなんでしょ?」と。
私たちは普段、お釈迦さまも阿弥陀さまも「仏さま」とひとくくりで呼んでいるような気がします。お釈迦さまと阿弥陀様は一緒でしょうか?
お釈迦様は昔、インドのシャカ国の王子としてお生まれになりました。お妃さまと子どもと何不自由のない暮らしをおくっていました。しかし、人間の生老病死という逃れられない苦しみに直面した時、「私はどう生きるべきか」と悩まれ、すべてのものを捨て出家されました。そして長い修行の後、とうとう菩提樹の下で悟りをひらき、私たちを苦しみから救う道を説かれました。
阿弥陀様は浄土真宗の御本尊です。本堂の内陣の真ん中に安置されていますので皆さんもご覧になっていることでしょう。阿弥陀様は私たちを必ず救いますと願われ、働きかけてくださっている仏様です。いつも私たちを心配していらっしゃるのでゆっくり座っているお姿ではなく、立っているお姿です。
親鸞上人は「正信念仏偈」の中でお釈迦様を「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と説かれています。
「お釈迦様がこの世にあらわれてくださった訳は 阿弥陀様が私たちを救わずにはいられないという大きな海のような願いを説かれるため。」なのです。
お釈迦様は阿弥陀様の救いと働きを私達に説かれるためにこの世にお生まれになったのです。
「そうか、おしゃかさまとあみださまはいっしょじゃないんだあ。あみださまはおしゃかさまのおとうさんかせんせいみたいなほとけさまなんだね。」と子どもたちも納得した様子です。
子ども会でも学校でも、これからも阿弥陀様に手を合わせてみんなでなかよく遊びましょうね。
仏様のおはなし新シリーズ 第73集 その2 「祖父の歌」
去年の暮れ、私は、はじめて出産という経験をしました。真夜中に少しずつ陣痛が始まり、その後、分娩室で息子が生まれたその瞬間、本当に「おぎゃあ、おぎゃあ」という声が聞こえてきました。助産師さんが胸に息子を抱かせてくれ、約10ヶ月の間お腹にいたわが子と対面し、小さい手を触りながら「よく生まれてきたね」と思わず言葉が出ました。その日は出産の興奮と歓喜の中でなかなか眠れずにいました。
そのときふと祖父が生前、私が生まれたときに詠んでくれたという歌がなぜか思い起こされてきました。「本源の いのち名告りて しょうこ佛」という歌です。私が小学校低学年のころに祖父は亡くなったため、会話をした細かな記憶はあまりありません。どちらかというと祖父は少し怖い人なのかなあと思っていました。当時まだ小さかった私はこの歌が書かれた色紙をみせてもらっても、亡くなった方を仏様と言うのは分かるが、なぜ祖父は歌の中で生まれたての赤ん坊の私を佛と詠まれたのだろう、とただ不思議に思っていました。
しかし母親になって「よく生まれてきてくれたね」とはじめて息子に声をかけることができた出産の日、祖父は生まれてきた赤ん坊の私のことを「仏様の限りない命の世界」の中に生まれた大切ないのちと詠んでくれたのではという思いが湧いてきました。
12月で息子は一歳になります。ともすれば、育児の不安や「将来はこうなってほしい」など、大人の願いを子にかけ過ぎ、独善的になってしまいがちですが、そんな時にこそ母親にならせてもらったことを喜び、それぞれにかがやいていくいのち自体が尊いことなのだと思い出したいと思います。祖父のすがたかたちはないけれども、息子の誕生を機にまた祖父に出逢い、大切なことを教えていただいた気がします。
毎月第2土曜日はお寺の子ども会。子どもたちはお勤めとご法話をいただいた後、ゲームをして遊びます。本堂は子どもたちの元気な声で賑やかです。ある時、その中のひとりの子どもに尋ねられました。「おしゃかさまとあみださまはいっしょなんでしょ?」と。
私たちは普段、お釈迦さまも阿弥陀さまも「仏さま」とひとくくりで呼んでいるような気がします。お釈迦さまと阿弥陀様は一緒でしょうか?
お釈迦様は昔、インドのシャカ国の王子としてお生まれになりました。お妃さまと子どもと何不自由のない暮らしをおくっていました。しかし、人間の生老病死という逃れられない苦しみに直面した時、「私はどう生きるべきか」と悩まれ、すべてのものを捨て出家されました。そして長い修行の後、とうとう菩提樹の下で悟りをひらき、私たちを苦しみから救う道を説かれました。
阿弥陀様は浄土真宗の御本尊です。本堂の内陣の真ん中に安置されていますので皆さんもご覧になっていることでしょう。阿弥陀様は私たちを必ず救いますと願われ、働きかけてくださっている仏様です。いつも私たちを心配していらっしゃるのでゆっくり座っているお姿ではなく、立っているお姿です。
親鸞上人は「正信念仏偈」の中でお釈迦様を「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と説かれています。
「お釈迦様がこの世にあらわれてくださった訳は 阿弥陀様が私たちを救わずにはいられないという大きな海のような願いを説かれるため。」なのです。
お釈迦様は阿弥陀様の救いと働きを私達に説かれるためにこの世にお生まれになったのです。
「そうか、おしゃかさまとあみださまはいっしょじゃないんだあ。あみださまはおしゃかさまのおとうさんかせんせいみたいなほとけさまなんだね。」と子どもたちも納得した様子です。
子ども会でも学校でも、これからも阿弥陀様に手を合わせてみんなでなかよく遊びましょうね。
浄満寺 井 浦 恩
仏様のおはなし新シリーズ 第73集 その2 「祖父の歌」
去年の暮れ、私は、はじめて出産という経験をしました。真夜中に少しずつ陣痛が始まり、その後、分娩室で息子が生まれたその瞬間、本当に「おぎゃあ、おぎゃあ」という声が聞こえてきました。助産師さんが胸に息子を抱かせてくれ、約10ヶ月の間お腹にいたわが子と対面し、小さい手を触りながら「よく生まれてきたね」と思わず言葉が出ました。その日は出産の興奮と歓喜の中でなかなか眠れずにいました。
そのときふと祖父が生前、私が生まれたときに詠んでくれたという歌がなぜか思い起こされてきました。「本源の いのち名告りて しょうこ佛」という歌です。私が小学校低学年のころに祖父は亡くなったため、会話をした細かな記憶はあまりありません。どちらかというと祖父は少し怖い人なのかなあと思っていました。当時まだ小さかった私はこの歌が書かれた色紙をみせてもらっても、亡くなった方を仏様と言うのは分かるが、なぜ祖父は歌の中で生まれたての赤ん坊の私を佛と詠まれたのだろう、とただ不思議に思っていました。
しかし母親になって「よく生まれてきてくれたね」とはじめて息子に声をかけることができた出産の日、祖父は生まれてきた赤ん坊の私のことを「仏様の限りない命の世界」の中に生まれた大切ないのちと詠んでくれたのではという思いが湧いてきました。
12月で息子は一歳になります。ともすれば、育児の不安や「将来はこうなってほしい」など、大人の願いを子にかけ過ぎ、独善的になってしまいがちですが、そんな時にこそ母親にならせてもらったことを喜び、それぞれにかがやいていくいのち自体が尊いことなのだと思い出したいと思います。祖父のすがたかたちはないけれども、息子の誕生を機にまた祖父に出逢い、大切なことを教えていただいた気がします。
妙泉寺 木 村 紹 子
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