浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所
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新mp3法話 第82集 建立寺 三笠崇雄「「やられたらやり返す」って、どうでしょう?」
mp3法話の第82集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第82集 「「やられたらやり返す」って、どうでしょう?」 音声版ダウンロード
第82集 「「やられたらやり返す」って、どうでしょう?」 PDF版ダウンロード
建立寺 三 笠 崇 雄
◎広報部□
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
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仏様のおはなし新シリーズ 第82集 「「やられたらやり返す」って、どうでしょう?」 音声版ダウンロード
第82集 「「やられたらやり返す」って、どうでしょう?」 PDF版ダウンロード
建立寺 三 笠 崇 雄
◎広報部□
仏様のおはなし新シリーズ 第82集 「「やられたらやり返す」って、どうでしょう?」
お寺は、しばしば泥棒に狙われ、私のお寺も何度か被害にあったことがあります。
壊されたものの損害や盗られた金額の大小に関わらず、代々護ってきたお寺を傷つけられ、ご門徒の皆さんが持ってこられたご懇念を奪われた事には怒り心頭であります。
どうすればいいか、どうしてやろうかとあれこれ考え、果ては「足が千切れるくらいの虎ばさみでも仕掛けてやろうか」とか考えています。
「やられたらやり返す」「やられる前に手を打つ」平穏な生活を営む上で皆が考えることです。「攻撃は最大の防御」などという言葉もあります。
これは個人だけの話ではなく、昨今の難しい国際情勢の中、国もそんな事を言っています。
防衛、反撃、圧力、それも平和への一つの考え方でしょう。
しかしこれって、はたしてどうでしょう?
今から約800年前、親鸞聖人は流罪により京都を離れ越後へ、その後赦免され関東へ赴き今の茨木県の稲田に庵を結ばれました。そこで人々にお念仏の教えをひろめていかれました。
親鸞聖人のところへは、身分の隔てなく多くの人々が集まり、お念仏をよろこぶようになっていきました。
これを快く思わなかったのが弁円という山伏です。お念仏がひろまるにつれ、それまで自分のところに来ていた信者が減ってくる事に腹を立て、しだいに親鸞憎しの思いが募っていきました。
弁円は聖人を亡き者にしようと、聖人がいつも行き来する道で待ち伏せをしたり、呪いの祈祷をしたりしましたが、うまくいきません。
ついに業を煮やし、直接稲田の草庵に弓矢や刀を持って乗り込んできました。
殺気を放つ弁円に、聖人は恐れるそぶりも見せず、穏やかな口調と優しい表情で、自分をわざわざ訪ねて来た客人として暖かく迎えられました。
その聖人の様子に、思わず殺気を削がれてしまった弁円は自分の心の内を話し出しました。
聖人は弁円の言い分を聞き、ご自分もお念仏の教えを語られました。その話に心打たれた弁円は、弓矢を折り、刀を捨て、親鸞聖人のお弟子となりました。
名も明法房とあらため、その後の人生を念仏者として歩みました。阿弥陀如来のお救いをよろこび、寺を建立しお念仏をひろめながら、これより30年ほど後、親鸞聖人より先に亡くなりました。
明法房の往生の知らせを聞いた聖人は、自分を殺しに来たあの弁円が、お念仏のよろこびの中で生き抜き、お浄土へ生まれたことを思い、「かへすがへすうれしく候ふ」とおっしゃったと伝えられています。
もしあの日、襲って来た弁円に対して親鸞聖人も武器を持って立ち向かっていたら、少なくともこのような未来はなかったことでしょう。
『無財の七施』というものがあります。いわゆるお布施ですが、お金や物など財産を施す財施の他に人や世のためになる事があります。
それは、優しい眼和やかな顔で接し、相手の心を思い愛情のある言葉をかけ、相手の居場所を大切にする。その為にこの身を惜しまないということです。
これが本当に誰もが認め合い、尊重し合い、安心して生きる道ではないでしょうか。
お寺は、しばしば泥棒に狙われ、私のお寺も何度か被害にあったことがあります。
壊されたものの損害や盗られた金額の大小に関わらず、代々護ってきたお寺を傷つけられ、ご門徒の皆さんが持ってこられたご懇念を奪われた事には怒り心頭であります。
どうすればいいか、どうしてやろうかとあれこれ考え、果ては「足が千切れるくらいの虎ばさみでも仕掛けてやろうか」とか考えています。
「やられたらやり返す」「やられる前に手を打つ」平穏な生活を営む上で皆が考えることです。「攻撃は最大の防御」などという言葉もあります。
これは個人だけの話ではなく、昨今の難しい国際情勢の中、国もそんな事を言っています。
防衛、反撃、圧力、それも平和への一つの考え方でしょう。
しかしこれって、はたしてどうでしょう?
今から約800年前、親鸞聖人は流罪により京都を離れ越後へ、その後赦免され関東へ赴き今の茨木県の稲田に庵を結ばれました。そこで人々にお念仏の教えをひろめていかれました。
親鸞聖人のところへは、身分の隔てなく多くの人々が集まり、お念仏をよろこぶようになっていきました。
これを快く思わなかったのが弁円という山伏です。お念仏がひろまるにつれ、それまで自分のところに来ていた信者が減ってくる事に腹を立て、しだいに親鸞憎しの思いが募っていきました。
弁円は聖人を亡き者にしようと、聖人がいつも行き来する道で待ち伏せをしたり、呪いの祈祷をしたりしましたが、うまくいきません。
ついに業を煮やし、直接稲田の草庵に弓矢や刀を持って乗り込んできました。
殺気を放つ弁円に、聖人は恐れるそぶりも見せず、穏やかな口調と優しい表情で、自分をわざわざ訪ねて来た客人として暖かく迎えられました。
その聖人の様子に、思わず殺気を削がれてしまった弁円は自分の心の内を話し出しました。
聖人は弁円の言い分を聞き、ご自分もお念仏の教えを語られました。その話に心打たれた弁円は、弓矢を折り、刀を捨て、親鸞聖人のお弟子となりました。
名も明法房とあらため、その後の人生を念仏者として歩みました。阿弥陀如来のお救いをよろこび、寺を建立しお念仏をひろめながら、これより30年ほど後、親鸞聖人より先に亡くなりました。
明法房の往生の知らせを聞いた聖人は、自分を殺しに来たあの弁円が、お念仏のよろこびの中で生き抜き、お浄土へ生まれたことを思い、「かへすがへすうれしく候ふ」とおっしゃったと伝えられています。
もしあの日、襲って来た弁円に対して親鸞聖人も武器を持って立ち向かっていたら、少なくともこのような未来はなかったことでしょう。
『無財の七施』というものがあります。いわゆるお布施ですが、お金や物など財産を施す財施の他に人や世のためになる事があります。
それは、優しい眼和やかな顔で接し、相手の心を思い愛情のある言葉をかけ、相手の居場所を大切にする。その為にこの身を惜しまないということです。
これが本当に誰もが認め合い、尊重し合い、安心して生きる道ではないでしょうか。
建立寺 三 笠 崇 雄
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