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新mp3法話 第84集 妙泉寺 木村 誉「とある女性の告白」
mp3法話の第84集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第84集 「とある女性の告白」 音声版ダウンロード
第84集 「とある女性の告白」 PDF版ダウンロード
妙泉寺 木 村 誉
◎広報部
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妙泉寺 木 村 誉
◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第84集 「とある女性の告白」
私が京都で学んでいた二年前のとある金曜日の夜、京都駅から明石行きの新快速列車に乗りました。中には会社帰りのお方々が多数。
私は当時愛読していた歎異抄の解説書を読みながら、一時間ほどの道程を過ごそうと思いました。しかし恥ずかしながら睡魔に襲われ、いつの間にか本を広げたまま眠ってしまったようです。
すると、
「あの、すみません。突然ですみませんが…」
パッと目を覚ますと、二人掛けシートの隣に座った四十歳前後の見知らぬスーツ姿のOLさんが私の顔を下からのぞき込んでおられました。私は「は?」と素っ頓狂な声で驚くと、
「いや、あの貴方の読んでいるその本。すごく面白そうで」
と仰るのです。訳が分からないまま話を聞くと、その女性はこれまで二十年近く、哲学を勉強して来られたというのです。おそらく歎異抄の内容に目が奪われたのでしょう。女性はこう続けます。
「…でも、私が愛し、学んできた哲学の知識は、会社という組織では一切必要とされなかった。私はそれが苦痛で、自分が日々こなしている仕事と頭の中の思想がどんどん乖離していって、それに耐えられなくなって。病んじゃったのよね。だから一回休職したんだけど。最近また復帰したの。もう割り切ろうと思って」と。そして
「私達は、一人一人本当にちっぽけな存在で、この大きな宇宙の中で塵のようなものでしかないのね。ホント、人生の99%は苦しいのよ。」
彼女の悲痛な心の叫びでした。どこにでも居られそうOLの方からこんな言葉が出てくるとは正直驚きでした。「人生は苦しい」まさにお釈迦様が仰った「一切皆苦」であります。しかし同時に気になったのが「私達はちっぽけで塵のような存在」という彼女の言葉です。
果たしてそうなのでしょうか。いや、そうだとしても、それで終わってしまって良いのでしょうか。阿弥陀如来という仏様は、私達一人一人の命を「仏となる尊い命」と見つめてくださいました。「南無阿弥陀仏」という願いが私達に間違いなく至り届いているということ、そしてその共に歩んでくださる仏様がおられるからこそ、いし、かわら、つぶてのごとき私達は、この娑婆という孤独そして苦悩に満ちた迷いの世界を力強く歩んでいけるのではないでしょうか。
鞄にしまい込んだお聖教を開く前に、彼女は「ありがとう」という言葉を最後に、電車を降りて行ってしまいました。二年経った今も、彼女との不思議な出会いが、私の心の底にありありと焼き付いています。
私が京都で学んでいた二年前のとある金曜日の夜、京都駅から明石行きの新快速列車に乗りました。中には会社帰りのお方々が多数。
私は当時愛読していた歎異抄の解説書を読みながら、一時間ほどの道程を過ごそうと思いました。しかし恥ずかしながら睡魔に襲われ、いつの間にか本を広げたまま眠ってしまったようです。
すると、
「あの、すみません。突然ですみませんが…」
パッと目を覚ますと、二人掛けシートの隣に座った四十歳前後の見知らぬスーツ姿のOLさんが私の顔を下からのぞき込んでおられました。私は「は?」と素っ頓狂な声で驚くと、
「いや、あの貴方の読んでいるその本。すごく面白そうで」
と仰るのです。訳が分からないまま話を聞くと、その女性はこれまで二十年近く、哲学を勉強して来られたというのです。おそらく歎異抄の内容に目が奪われたのでしょう。女性はこう続けます。
「…でも、私が愛し、学んできた哲学の知識は、会社という組織では一切必要とされなかった。私はそれが苦痛で、自分が日々こなしている仕事と頭の中の思想がどんどん乖離していって、それに耐えられなくなって。病んじゃったのよね。だから一回休職したんだけど。最近また復帰したの。もう割り切ろうと思って」と。そして
「私達は、一人一人本当にちっぽけな存在で、この大きな宇宙の中で塵のようなものでしかないのね。ホント、人生の99%は苦しいのよ。」
彼女の悲痛な心の叫びでした。どこにでも居られそうOLの方からこんな言葉が出てくるとは正直驚きでした。「人生は苦しい」まさにお釈迦様が仰った「一切皆苦」であります。しかし同時に気になったのが「私達はちっぽけで塵のような存在」という彼女の言葉です。
果たしてそうなのでしょうか。いや、そうだとしても、それで終わってしまって良いのでしょうか。阿弥陀如来という仏様は、私達一人一人の命を「仏となる尊い命」と見つめてくださいました。「南無阿弥陀仏」という願いが私達に間違いなく至り届いているということ、そしてその共に歩んでくださる仏様がおられるからこそ、いし、かわら、つぶてのごとき私達は、この娑婆という孤独そして苦悩に満ちた迷いの世界を力強く歩んでいけるのではないでしょうか。
鞄にしまい込んだお聖教を開く前に、彼女は「ありがとう」という言葉を最後に、電車を降りて行ってしまいました。二年経った今も、彼女との不思議な出会いが、私の心の底にありありと焼き付いています。
妙泉寺 木 村 誉
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