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新mp3法話 第90集 伝照寺 轟 勇二「「隠れ念仏」(浄土真宗禁制)の歴史」
mp3法話の第90集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第90集 「「隠れ念仏」(浄土真宗禁制)の歴史」 音声版ダウンロード
第90集 「「隠れ念仏」(浄土真宗禁制)の歴史」 PDF版ダウンロード
傳照寺 轟 勇 二
◎広報部
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傳照寺 轟 勇 二
◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第90集 「「隠れ念仏」(浄土真宗禁制)の歴史」
先日「隠れ念仏」の跡を訪ねて、鹿児島県に行ってきました。皆さんは「隠れ念仏」の歴史をご存知でしょうか。「隠れキリシタン」ならぬ「隠れ念仏」の歴史が島津藩、現在の鹿児島県中心の地域にあります。記録によると、少なくとも一五九八年(慶長二年)から一八七六年(明治九年)までの約三百年に亘って、浄土真宗は島津藩で禁止されていました。理由は、当時、各地で起こっていた一向一揆や、本願寺と織田信長の戦さである石山合戦、それを精神的に支えた平等のみ教えが為政者から危険視されたこと、また、ご門徒がお金を本願寺へ懇志するために、藩の財政を圧迫することなど様々な理由があったようです。
禁制の実態はとても厳しく、浄土真宗を信仰しているものがみつかると捕えられ、逆吊り・割れ木責め・水責めなどの拷問にかけられ、改宗の意思がないものは斬首・磔・火あぶりの極刑に処せられました。その拷問で膝の上に載せられたという大きな石が、本願寺鹿児島別院の境内に「涙石」として残されています。特にひどかった天保の法難では、のべ十四万人の方が検挙されたといいます。
そのような禁制の時代にあっても、夜な夜な山の中にある洞窟などに集まり、阿弥陀様をご安置してお勤めをし仏法を聞き、お念仏を申されていたのです。その洞窟や跡は、今も鹿児島県全域、宮崎県都城市・小林市、熊本県人吉市などに残っています。現在鹿児島県にある浄土真宗のほとんどのお寺は、禁制が解禁された一八七六年以降に建立されています。お寺によっては、「隠れ念仏」の歴史を偲ぶことができるとても小さな阿弥陀様や、焼け焦げた阿弥陀さまなどが残されています。
「隠れ念仏」という悲しみの歴史を通して、親鸞聖人が承元の法難で念仏弾圧の流罪にあわれた後も、お念仏をあらゆる人々と共にいただかれていったことが思い出されます。
私の人生で本当に大事なことは何なのか。悲しみと絶望の中、人生の「宝」をお念仏としていただかれ、南無阿弥陀仏の心にたすけられてきた方々がおられました。
最後に、都城市田島かくれ念仏洞の碑文の歌を紹介します。
「念仏はいのちなり 念仏はまことなり 血吹き涙あふるる暗き世に わが無碍光は されど その力にては 消えざりき」
合掌
先日「隠れ念仏」の跡を訪ねて、鹿児島県に行ってきました。皆さんは「隠れ念仏」の歴史をご存知でしょうか。「隠れキリシタン」ならぬ「隠れ念仏」の歴史が島津藩、現在の鹿児島県中心の地域にあります。記録によると、少なくとも一五九八年(慶長二年)から一八七六年(明治九年)までの約三百年に亘って、浄土真宗は島津藩で禁止されていました。理由は、当時、各地で起こっていた一向一揆や、本願寺と織田信長の戦さである石山合戦、それを精神的に支えた平等のみ教えが為政者から危険視されたこと、また、ご門徒がお金を本願寺へ懇志するために、藩の財政を圧迫することなど様々な理由があったようです。
禁制の実態はとても厳しく、浄土真宗を信仰しているものがみつかると捕えられ、逆吊り・割れ木責め・水責めなどの拷問にかけられ、改宗の意思がないものは斬首・磔・火あぶりの極刑に処せられました。その拷問で膝の上に載せられたという大きな石が、本願寺鹿児島別院の境内に「涙石」として残されています。特にひどかった天保の法難では、のべ十四万人の方が検挙されたといいます。
そのような禁制の時代にあっても、夜な夜な山の中にある洞窟などに集まり、阿弥陀様をご安置してお勤めをし仏法を聞き、お念仏を申されていたのです。その洞窟や跡は、今も鹿児島県全域、宮崎県都城市・小林市、熊本県人吉市などに残っています。現在鹿児島県にある浄土真宗のほとんどのお寺は、禁制が解禁された一八七六年以降に建立されています。お寺によっては、「隠れ念仏」の歴史を偲ぶことができるとても小さな阿弥陀様や、焼け焦げた阿弥陀さまなどが残されています。
「隠れ念仏」という悲しみの歴史を通して、親鸞聖人が承元の法難で念仏弾圧の流罪にあわれた後も、お念仏をあらゆる人々と共にいただかれていったことが思い出されます。
私の人生で本当に大事なことは何なのか。悲しみと絶望の中、人生の「宝」をお念仏としていただかれ、南無阿弥陀仏の心にたすけられてきた方々がおられました。
最後に、都城市田島かくれ念仏洞の碑文の歌を紹介します。
「念仏はいのちなり 念仏はまことなり 血吹き涙あふるる暗き世に わが無碍光は されど その力にては 消えざりき」
合掌
傳照寺 轟 勇 二
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