浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所
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新mp3法話 第93集 徳栄寺 大野義雄「仏様に手をあわせる」
mp3法話の第93集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第93集 「仏様に手をあわせる」 音声版ダウンロード
第93集 「仏様に手をあわせる」 PDF版ダウンロード
徳栄寺 大 野 義 雄
◎広報部
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
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仏様のおはなし新シリーズ 第93集 「仏様に手をあわせる」 音声版ダウンロード
第93集 「仏様に手をあわせる」 PDF版ダウンロード
徳栄寺 大 野 義 雄
◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第93集 「仏様に手をあわせる」
古い童話に宇野浩二さんの「地蔵様の村」というものがあります。
ある村にお坊さんが二つの地蔵様をもってやってきました。一つは東の山の上に「聞く地蔵様」、もう一つは西の野原に「聞かぬ地蔵様」。お坊さんは村人達に「聞かぬ地蔵様」をお参りするように勧め、村を去って行きました。ところが、村人達は「聞く地蔵様」にこぞってお参りしました。その結果、たくさんのご利益を受け、誰もが健康で金持ちになり、幸せになりました。すると、今度は誰よりも幸せになりたいと始終一段上を望むようになりました。ついには、誰もが自分と同じように幸せであることに耐えられなくなり、「隣の家の人達が病気になりますように」「向いの家が貧乏になりますように」と願うようになります。この不幸の祈りの結果、病人と貧乏人ばかりの村となり、だれもその村に近づかなくなりました。ある日、村にあのお坊さんが再び現れ、変わり果てた村を見て言いました。「今日から山の地蔵様は止めて、野原の地蔵様に参るがいい。」村人の目に「聞かぬ地蔵様」のもとへ伸びる道がうつりました。しかし、聞かぬ地蔵様に何と願っていいのか分からない。ですからその地蔵様にお参りしては、何も願わずにただ拝んで帰って来ました。そして、誰も山の地蔵様にはお参りしなくなりました。やがて、村はだんだん「仕合わせな、平和な村」に戻りました。
というお話です。
私の願いや欲求の先にあるものが「本当のしあわせ」なのでしょうか。阿弥陀さまは私の願いや欲求を叶えてくれる仏様ではありません。ですから手を合わせたからといって私の思い通りになることはありません。思い通りにならない人生の中で、喜びや悲しみ、苦しみなど色々なものを抱えて生きています。その私に、阿弥陀さまは「あなたを必ず仏にさせます」と願い続けてくださっておられる。その願いを聞き「南無阿弥陀仏」とお念仏申しながら、「本当のしあわせ」が何なのかを確かめさせていただいております。
古い童話に宇野浩二さんの「地蔵様の村」というものがあります。
ある村にお坊さんが二つの地蔵様をもってやってきました。一つは東の山の上に「聞く地蔵様」、もう一つは西の野原に「聞かぬ地蔵様」。お坊さんは村人達に「聞かぬ地蔵様」をお参りするように勧め、村を去って行きました。ところが、村人達は「聞く地蔵様」にこぞってお参りしました。その結果、たくさんのご利益を受け、誰もが健康で金持ちになり、幸せになりました。すると、今度は誰よりも幸せになりたいと始終一段上を望むようになりました。ついには、誰もが自分と同じように幸せであることに耐えられなくなり、「隣の家の人達が病気になりますように」「向いの家が貧乏になりますように」と願うようになります。この不幸の祈りの結果、病人と貧乏人ばかりの村となり、だれもその村に近づかなくなりました。ある日、村にあのお坊さんが再び現れ、変わり果てた村を見て言いました。「今日から山の地蔵様は止めて、野原の地蔵様に参るがいい。」村人の目に「聞かぬ地蔵様」のもとへ伸びる道がうつりました。しかし、聞かぬ地蔵様に何と願っていいのか分からない。ですからその地蔵様にお参りしては、何も願わずにただ拝んで帰って来ました。そして、誰も山の地蔵様にはお参りしなくなりました。やがて、村はだんだん「仕合わせな、平和な村」に戻りました。
というお話です。
私の願いや欲求の先にあるものが「本当のしあわせ」なのでしょうか。阿弥陀さまは私の願いや欲求を叶えてくれる仏様ではありません。ですから手を合わせたからといって私の思い通りになることはありません。思い通りにならない人生の中で、喜びや悲しみ、苦しみなど色々なものを抱えて生きています。その私に、阿弥陀さまは「あなたを必ず仏にさせます」と願い続けてくださっておられる。その願いを聞き「南無阿弥陀仏」とお念仏申しながら、「本当のしあわせ」が何なのかを確かめさせていただいております。
徳栄寺 大 野 義 雄
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