浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所
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新mp3法話 第97集 妙泉寺 木村眞昭「聖徳太子の悲願」
mp3法話の第97集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第97集 「聖徳太子の悲願」 音声版ダウンロード
第97集 「聖徳太子の悲願」 PDF版ダウンロード
妙泉寺 木 村 眞 昭
◎広報部
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第97集 「聖徳太子の悲願」 PDF版ダウンロード
妙泉寺 木 村 眞 昭
◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第97集 「聖徳太子の悲願」
浄土真宗のお寺の本堂には、聖徳太子の御影(ごえい)の掛軸がかかっています。その掛軸の上部には、銘文(めいもん)とよばれる次のような文章が書かれていますが、その言葉や意味については多くの方はご存知ないかもしれません。
読み下(くだ)していいますと、「吾(われ)、利生(りしょう)の為(ため)に彼(か)の衡(こう)山(ざん)より出(い)でて、この日域(じちいき)に入(い)る。守屋(もりや)の邪見(じゃけん)を降(こう)伏(ぶく)して、終(つい)に仏法(ぶっぽう)の威徳(いとく)を顕(あらわ)す。」とあります。その意味を私なりに訳してみれば、「私は、前生は中国の衡山つまり天台山(てんだいざん)にいた恵思(えし)禅師(ぜんじ)であったが、この日本に聖徳太子と生まれ変わったのである。仏教を取り入れることに反対するという誤った考えの物部守屋(もののべのもりや)を降伏させて、ついにこの日本に仏法(ぶっぽう)をお迎えしその大きな徳を顕(あきら)かにしたのである。」とでもなりましょうか。守屋(もりや)の邪見(じゃけん)というのは、「日本は古来から神々を拝んできたのであるから、異国の神である仏教の導入には反対である」というものです。
こうして日本に仏教を根付(ねづ)かせられた聖徳太子は、「十七条憲法」を制定して仏教精神による理想の政治を求めていかれました。
その後、仏教と神道の関係は、時代の流れに伴(ともな)ってさまざまに変わっていきましたが、現在は多くの宗派が、神仏(しんぶつ)混淆(こんこう)という神と仏の違いがはっきりしないものになっているように思われます。
そのなかで浄土真宗だけは、親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)が『教(きょう)行(ぎょう)信証(しんしょう)』にはっきりと、「仏(ぶつ)に帰依(きえ)せば、ついにまたその余のもろもろの天神(てんじん)に帰依せざれ」とお示しになられたように、阿弥陀如来の本願(ほんがん)一つを拠(よ)どころにして、神を拝まない宗旨(しゅうし)です。聖徳太子を終生(しゅうせい)心の拠(よ)りどころとして崇(あが)めていかれた親鸞聖人の教えが、結果的に聖徳太子の悲願を実現しておられるとも受け止められます。ですから、真宗寺院のどこを探しても、他宗のように神棚や大黒天(だいこくてん)を祀(まつ)っていませんし、どの住職の車にも交通安全のお札は下がっていません。
なぜそうなるのか、このことに焦点(しょうてん)を当ててお聴聞(ちょうもん)することも、大切ではないでしょうか。
今回は、城南区友(とも)丘(おか)の妙泉寺住職でした。
浄土真宗のお寺の本堂には、聖徳太子の御影(ごえい)の掛軸がかかっています。その掛軸の上部には、銘文(めいもん)とよばれる次のような文章が書かれていますが、その言葉や意味については多くの方はご存知ないかもしれません。
読み下(くだ)していいますと、「吾(われ)、利生(りしょう)の為(ため)に彼(か)の衡(こう)山(ざん)より出(い)でて、この日域(じちいき)に入(い)る。守屋(もりや)の邪見(じゃけん)を降(こう)伏(ぶく)して、終(つい)に仏法(ぶっぽう)の威徳(いとく)を顕(あらわ)す。」とあります。その意味を私なりに訳してみれば、「私は、前生は中国の衡山つまり天台山(てんだいざん)にいた恵思(えし)禅師(ぜんじ)であったが、この日本に聖徳太子と生まれ変わったのである。仏教を取り入れることに反対するという誤った考えの物部守屋(もののべのもりや)を降伏させて、ついにこの日本に仏法(ぶっぽう)をお迎えしその大きな徳を顕(あきら)かにしたのである。」とでもなりましょうか。守屋(もりや)の邪見(じゃけん)というのは、「日本は古来から神々を拝んできたのであるから、異国の神である仏教の導入には反対である」というものです。
こうして日本に仏教を根付(ねづ)かせられた聖徳太子は、「十七条憲法」を制定して仏教精神による理想の政治を求めていかれました。
その後、仏教と神道の関係は、時代の流れに伴(ともな)ってさまざまに変わっていきましたが、現在は多くの宗派が、神仏(しんぶつ)混淆(こんこう)という神と仏の違いがはっきりしないものになっているように思われます。
そのなかで浄土真宗だけは、親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)が『教(きょう)行(ぎょう)信証(しんしょう)』にはっきりと、「仏(ぶつ)に帰依(きえ)せば、ついにまたその余のもろもろの天神(てんじん)に帰依せざれ」とお示しになられたように、阿弥陀如来の本願(ほんがん)一つを拠(よ)どころにして、神を拝まない宗旨(しゅうし)です。聖徳太子を終生(しゅうせい)心の拠(よ)りどころとして崇(あが)めていかれた親鸞聖人の教えが、結果的に聖徳太子の悲願を実現しておられるとも受け止められます。ですから、真宗寺院のどこを探しても、他宗のように神棚や大黒天(だいこくてん)を祀(まつ)っていませんし、どの住職の車にも交通安全のお札は下がっていません。
なぜそうなるのか、このことに焦点(しょうてん)を当ててお聴聞(ちょうもん)することも、大切ではないでしょうか。
今回は、城南区友(とも)丘(おか)の妙泉寺住職でした。
妙泉寺 木 村 眞 昭
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