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浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所

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2020/06/08

新mp3法話 第100集 善照寺住職 七里信路「『ミリンダ王経』の喩え」

mp3法話の第100集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。

本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。

仏様のおはなし新シリーズ 第100集 「『ミリンダ王経』の喩え」 音声版ダウンロード
第100集 「『ミリンダ王経』の喩え」 PDF版ダウンロード
善照寺住職 七 里 信 路

◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第100集 「『ミリンダ王経』の喩え」

『ミリンダ王経』というお経の中に、ある問答があります。同じ内容が、親鸞聖人が高僧と仰がれた源信和尚の『往生要集』にも紹介されています。
 それを端的に言うと、「知って犯す罪と、知らずに犯す罪と、どちらが罪が重いか?」という問いです。
世間一般的には「知って犯す罪が、罪が重い。」と考えるのが普通でしょう。

 仏教での受け止め方、考え方は、どうも違うようです。
私もこの問答を皆さま方に考えて頂く際にいろいろと考えたことがありました。
ヒントです。私のヒントは、「赤ん坊に刃物を持たせたら何故怖いか?」です。まさか、赤ちゃんにリンゴの皮を剥いてくれといって包丁を渡す大人はいないでしょう。
何故ならば大人は包丁の使い道を知っていて、使い方によっては危険な物と知っているからです。包丁を何かを知らない赤ん坊には、扱わすことも目の前に置くこともしないでしょう。

 先ほどの問いに対して、お釈迦様は譬えを説いてお応えになります。
『それは、 ちょうど地上に焼けた鉄があるとして、 一人は焼けた鉄だと知っているが、 他の一人は、 焼けていることを知らない。二人がともに手に取った時、 知らなかった者の手は焼けただれることが大きく、 知っていた者の手は火傷がわずかなようなものである。』 と。
 知らずに犯す罪は、知らないが故にとことん犯してしまうという恐ろしさがあることを教えて下さいます。まさに私の身の事実なのです。
ただ、自らの罪悪性に気づくことは、決してマイナスではなく、人間が人間として生きていく上でとても大切な営みです。何故なら、罪を恥じ、と同時に悔い改められていく道が開けてくるからです。罪悪を知り続けることで、どこまでもプラスに変えられていく人生が興りうるのです。
 お念仏申す人生は、私の罪悪と共に歩む人生でもありました。

善照寺住職 七 里 信 路

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