浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所
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新mp3法話 第101集 真福寺 速開一弥「阿弥陀さまの腕の中」
mp3法話の第101集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第101集 「阿弥陀さまの腕の中」 音声版ダウンロード
第101集 「阿弥陀さまの腕の中」 PDF版ダウンロード
真福寺 速 開 一 弥
◎広報部
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
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仏様のおはなし新シリーズ 第101集 「阿弥陀さまの腕の中」 音声版ダウンロード
第101集 「阿弥陀さまの腕の中」 PDF版ダウンロード
真福寺 速 開 一 弥
◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第101集 「阿弥陀さまの腕の中」
わたくし事ですが先日、第一子が誕生しました。コロナウィルスの影響で出産に立ち会うことができず、産後七日目にしてようやく我が子を手に抱くことができました。
妻から恐る恐る我が子を手に抱き、温かさとこちらを見つめる顔を見た瞬間「本当に産まれてきたんだ。生きているんだ。会いたかったよ。ありがとう。」と、大変な時ではあったけど無事産まれてきたよろこび。傍にいてあげられなかった妻とご苦労かけた方々への感謝の気持ちでいっぱいになりました。
後日、子どもに会いに妻の実家へ行った際、妻から少し用があるので息子をあやしてほしいという場面がありました。不慣れなわたしは緊張と焦りでうまくあやすことが出来ず、不安が伝わってしまったのか案の定泣いてしまいました。妻が飛んできて交代するとすぐに泣き止みました。そのあとはお風呂に入れて、寝かせて、食事をさせての繰り返し、母親のご苦労を身に染みて感じました。
その日の夜はなかなか寝てくれず、朝方まで夜泣きが続きました。夫婦そろって寝不足の中、見かねた妻の母が我が子を寝かせつけるのを横目にわたしもそのまま眠っていくのでした。
起きると妻に抱かれ眠る子どもの姿がありました。ぼんやり見ているとこの言葉が頭に浮かびました。
「あれごらん親に抱かれて寝る赤子、落ちる落ちぬの心配はなし」
親の腕の中の赤ちゃんは寝たり泣いたり暴れたりやりたい放題です。そんなことができるのは親が絶対に離さないという安心の世界がそうさせています。
私たちには両親以外にも親がいて下さいました。その親こそ阿弥陀様です。阿弥陀様は、いつでも、どこでも、どんなときにでも私たちを見守ってくださいます。誰であろうと分け隔てはなく、私たちはみんな阿弥陀様の子どもなのです。私たちが悩み苦しんでいるとき、代わってくれるわけでもありません。しかし「あなたは一人ではない、いつでもここで見守っているよ」と、私たちのそばにいつもおられます。
私たちは、常に阿弥陀様に見守られ、抱かれて生きています。だからこそ、私たちは安心して、日々を過ごしていけるのではないでしょうか。
わたくし事ですが先日、第一子が誕生しました。コロナウィルスの影響で出産に立ち会うことができず、産後七日目にしてようやく我が子を手に抱くことができました。
妻から恐る恐る我が子を手に抱き、温かさとこちらを見つめる顔を見た瞬間「本当に産まれてきたんだ。生きているんだ。会いたかったよ。ありがとう。」と、大変な時ではあったけど無事産まれてきたよろこび。傍にいてあげられなかった妻とご苦労かけた方々への感謝の気持ちでいっぱいになりました。
後日、子どもに会いに妻の実家へ行った際、妻から少し用があるので息子をあやしてほしいという場面がありました。不慣れなわたしは緊張と焦りでうまくあやすことが出来ず、不安が伝わってしまったのか案の定泣いてしまいました。妻が飛んできて交代するとすぐに泣き止みました。そのあとはお風呂に入れて、寝かせて、食事をさせての繰り返し、母親のご苦労を身に染みて感じました。
その日の夜はなかなか寝てくれず、朝方まで夜泣きが続きました。夫婦そろって寝不足の中、見かねた妻の母が我が子を寝かせつけるのを横目にわたしもそのまま眠っていくのでした。
起きると妻に抱かれ眠る子どもの姿がありました。ぼんやり見ているとこの言葉が頭に浮かびました。
「あれごらん親に抱かれて寝る赤子、落ちる落ちぬの心配はなし」
親の腕の中の赤ちゃんは寝たり泣いたり暴れたりやりたい放題です。そんなことができるのは親が絶対に離さないという安心の世界がそうさせています。
私たちには両親以外にも親がいて下さいました。その親こそ阿弥陀様です。阿弥陀様は、いつでも、どこでも、どんなときにでも私たちを見守ってくださいます。誰であろうと分け隔てはなく、私たちはみんな阿弥陀様の子どもなのです。私たちが悩み苦しんでいるとき、代わってくれるわけでもありません。しかし「あなたは一人ではない、いつでもここで見守っているよ」と、私たちのそばにいつもおられます。
私たちは、常に阿弥陀様に見守られ、抱かれて生きています。だからこそ、私たちは安心して、日々を過ごしていけるのではないでしょうか。
真福寺 速 開 一 弥
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