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新mp3法話 第102集 光円寺 圓日耕也 「じりじりと照りつける光のなかで」
mp3法話の第102集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第102集 「じりじりと照りつける光のなかで」 音声版ダウンロード
第102集 「じりじりと照りつける光のなかで」 PDF版ダウンロード
光円寺 圓 日 耕 也
◎広報部
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
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仏様のおはなし新シリーズ 第102集 「じりじりと照りつける光のなかで」 音声版ダウンロード
第102集 「じりじりと照りつける光のなかで」 PDF版ダウンロード
光円寺 圓 日 耕 也
◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第102集 「じりじりと照りつける光のなかで」
今般の新型コロナウイルスの感染拡大により、世界の国々には協調的な動きが見られますが、その一方でコロナ禍の責任を他国に押し付けようとする自国ファーストともいうべき国家のエゴイズムが蔓延しているようにも思います。
先の戦争より七十五年の月日が流れました。人々の記憶からますます戦争は遠ざかってゆくようですが、ここにきて、新たな冷戦の台頭もあり、問題山積みの大変なご時世でございます。
悲しみは時間が解決してくれると人はよく言います。しかし、忘れてはいけないことがあります。それは戦争の記憶です。その悲しみを繰り返さないためにもそれを常に記憶にとどめる日々の営みが必要です。戦争は一人の人間、または一つの国家が被害者であると同時に、加害者にもなります。このことは特に忘れてはいけません。
先の大戦の末期、本土防衛の時間を稼ぐ「捨て石」として県民の四人に一人が命を失った沖縄県で、今年も六月二十三日に戦没者の追悼式典が例年どおり糸満市の県平和祈念公園の「平和の礎」の近くの広場で、沖縄県主催のもと開催されました。
礎には軍人、民間人を問わず、沖縄戦で亡くなった国内外二十四万人の名前が刻まれています。
戦争は一言で言えば、殺し合いです。またその戦場は例外なく、たまたまそこに居合わせ生活していた人々をも巻き込み、殺し殺され、その結果死体が放置され横たわっていた場所だったのでございましょう。時が過ぎても、命を落とした人の無念さはいうまでもなく、その遺族にも生涯消し去ることの出来ない悲しみだけが残ったのです。
最後に、詩人 石垣りん氏(一九二〇―二〇〇四年)のことばを胸に刻みます。
ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ち上がる。
ああ、あなたでしたね。
あなたも死んだのでしたね。
活字にすれば四つか五つ。
その向こうにあるひとつのいのち。
悲惨にとぢられたひとりの人生。
あなたはいま、どのような眠りを、眠っているのだろうか。
そして私はどのように、さめているというのか?
死者の記憶が遠ざかるとき、同じ速度で、死は私たちに近づく。
今般の新型コロナウイルスの感染拡大により、世界の国々には協調的な動きが見られますが、その一方でコロナ禍の責任を他国に押し付けようとする自国ファーストともいうべき国家のエゴイズムが蔓延しているようにも思います。
先の戦争より七十五年の月日が流れました。人々の記憶からますます戦争は遠ざかってゆくようですが、ここにきて、新たな冷戦の台頭もあり、問題山積みの大変なご時世でございます。
悲しみは時間が解決してくれると人はよく言います。しかし、忘れてはいけないことがあります。それは戦争の記憶です。その悲しみを繰り返さないためにもそれを常に記憶にとどめる日々の営みが必要です。戦争は一人の人間、または一つの国家が被害者であると同時に、加害者にもなります。このことは特に忘れてはいけません。
先の大戦の末期、本土防衛の時間を稼ぐ「捨て石」として県民の四人に一人が命を失った沖縄県で、今年も六月二十三日に戦没者の追悼式典が例年どおり糸満市の県平和祈念公園の「平和の礎」の近くの広場で、沖縄県主催のもと開催されました。
礎には軍人、民間人を問わず、沖縄戦で亡くなった国内外二十四万人の名前が刻まれています。
戦争は一言で言えば、殺し合いです。またその戦場は例外なく、たまたまそこに居合わせ生活していた人々をも巻き込み、殺し殺され、その結果死体が放置され横たわっていた場所だったのでございましょう。時が過ぎても、命を落とした人の無念さはいうまでもなく、その遺族にも生涯消し去ることの出来ない悲しみだけが残ったのです。
最後に、詩人 石垣りん氏(一九二〇―二〇〇四年)のことばを胸に刻みます。
ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ち上がる。
ああ、あなたでしたね。
あなたも死んだのでしたね。
活字にすれば四つか五つ。
その向こうにあるひとつのいのち。
悲惨にとぢられたひとりの人生。
あなたはいま、どのような眠りを、眠っているのだろうか。
そして私はどのように、さめているというのか?
死者の記憶が遠ざかるとき、同じ速度で、死は私たちに近づく。
光円寺 圓 日 耕 也
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