浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所
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新mp3法話 第119集 善照寺 七里信路 「ご法事に思う」
mp3法話の第119集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第119集 「ご法事に思う」 音声版ダウンロード
第119集「ご法事に思う」 PDF版ダウンロード
善照寺 七 里 信 路
◎広報部
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
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善照寺 七 里 信 路
◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第119集 「ご法事に思う」
昨年一昨年と、コロナ禍のためにご法事を中止したり延期したりという事が多々ありました。ご法事に関する相談や問い合わせも多く、『やっぱり、法事はせんといかんもんでしょうか?』という質問もありました。「禍(わざわい)」が噴き出したな、ここにも来たか、と思いました。しかし同時に「ご法事」を営むことの意義を問われた様な思いがしました。
私事ですが、両親のご法事を併修した時のことです。本堂で『阿弥陀経』のお勤め中でした。六方段という六方(東西南北下上)の諸仏方(しょぶつがた)が阿弥陀仏のお徳を讃(たた)え、お念仏をお勧め下さるお説法のところでした。嬉しくて涙が溢れてきました。父も母もこの六方諸仏方と一緒になって、私にお念仏を勧めに還(かえ)ってくれたんだと思えたからです。私と父母の人間関係をはるかに超えて、私と仏さまとの関係が生まれていたことに気付かされました。
そうです。「ご法事」とは私と仏さまとの関係を頂く「ご仏縁(ぶつえん)」「ご法縁(ほうえん)」なのです。
善導大師(ぜんどうだいし)というお坊様の書物の中に、『①自覚(じかく)②覚(かく)他(た)③覚行窮満(かくぎょうぐうまん)これを名づけて仏(ぶつ)となす。』とあります。①自覚とは、自(みずか)ら覚(めざ)めることです。真実真理に覚めさとりを得(う)る、仏(ぶつ)に成(な)るということです。仏に成ったのであるから目的は達成したといってもいいのでしょうが、善導大師はそれだけでは本当の仏とは言えないと②覚他を挙(あ)げておられます。他(た)を覚(めざ)めさせようと働くのだ。自分は覚(めざ)めたから他(ほか)はどうでもいいではないのです。この覚(さと)りを教え、伝え、導こうと働くのだ。そして、③覚行窮満。その自覚、覚他の実践がことごとく満足しておられるお方を仏さまと言うのだ。と教えて下さっています。
仏さまに生まれるとじっとしておれないのですね。私に仏法を勧めるために今現在も働き通しなのです。
せめて、「ご法事」をご縁に、仏さまからの願いを承(う)けて頂きたいものです。
「どうかお願いだから、貴方もお念仏申して、必ずお浄土へ仏として生まれておくれ。」という願いに向かい合う大切な機縁なのです。
昨年一昨年と、コロナ禍のためにご法事を中止したり延期したりという事が多々ありました。ご法事に関する相談や問い合わせも多く、『やっぱり、法事はせんといかんもんでしょうか?』という質問もありました。「禍(わざわい)」が噴き出したな、ここにも来たか、と思いました。しかし同時に「ご法事」を営むことの意義を問われた様な思いがしました。
私事ですが、両親のご法事を併修した時のことです。本堂で『阿弥陀経』のお勤め中でした。六方段という六方(東西南北下上)の諸仏方(しょぶつがた)が阿弥陀仏のお徳を讃(たた)え、お念仏をお勧め下さるお説法のところでした。嬉しくて涙が溢れてきました。父も母もこの六方諸仏方と一緒になって、私にお念仏を勧めに還(かえ)ってくれたんだと思えたからです。私と父母の人間関係をはるかに超えて、私と仏さまとの関係が生まれていたことに気付かされました。
そうです。「ご法事」とは私と仏さまとの関係を頂く「ご仏縁(ぶつえん)」「ご法縁(ほうえん)」なのです。
善導大師(ぜんどうだいし)というお坊様の書物の中に、『①自覚(じかく)②覚(かく)他(た)③覚行窮満(かくぎょうぐうまん)これを名づけて仏(ぶつ)となす。』とあります。①自覚とは、自(みずか)ら覚(めざ)めることです。真実真理に覚めさとりを得(う)る、仏(ぶつ)に成(な)るということです。仏に成ったのであるから目的は達成したといってもいいのでしょうが、善導大師はそれだけでは本当の仏とは言えないと②覚他を挙(あ)げておられます。他(た)を覚(めざ)めさせようと働くのだ。自分は覚(めざ)めたから他(ほか)はどうでもいいではないのです。この覚(さと)りを教え、伝え、導こうと働くのだ。そして、③覚行窮満。その自覚、覚他の実践がことごとく満足しておられるお方を仏さまと言うのだ。と教えて下さっています。
仏さまに生まれるとじっとしておれないのですね。私に仏法を勧めるために今現在も働き通しなのです。
せめて、「ご法事」をご縁に、仏さまからの願いを承(う)けて頂きたいものです。
「どうかお願いだから、貴方もお念仏申して、必ずお浄土へ仏として生まれておくれ。」という願いに向かい合う大切な機縁なのです。
善照寺 七 里 信 路
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