浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所
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新mp3法話 第120集 徳栄寺 大野義雄 「そのままの私」
mp3法話の第120集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第120集 「そのままの私」 音声版ダウンロード
第120集「そのままの私」 PDF版ダウンロード
徳栄寺 大 野 義 雄
◎広報部
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
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第120集「そのままの私」 PDF版ダウンロード
徳栄寺 大 野 義 雄
◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第120集 「そのままの私」
私の四歳になる息子は、昨年の八月頃から吃音(どもり)の症状が出るようになりました。症状が強い時には顔や体に力が入り、口を尖らせ、顔を真っ赤にしても一言も出せず、『出ない。苦しい。』と訴えることもありました。普段お喋りな息子がそのことを訴える度に、私は落ち込み、悩み、落ち着かない日々を過ごしていました。
十二月に入り、吃音専門医師の先生に直接息子を診てもらえるご縁をいただきました。自身も吃音症状を抱えるその先生は、息子の吃音を診るために、しばらく色々なことを質問したり、息子の話を聞いたりしておられました。最後に先生は『私も君と同じ話し方だよ。君と同じ話し方の子は、他にもたくさんいるんだよ。君はそのままでいいんだよ。』と言って下さいました。先生がその日話して下さったことは、本に書かれていることと変わらないものでした。ですが、息子を直接見て、息子の吃音症状や様子、悩みに耳を傾け、自分ではどうすることもできない吃音を抱える息子を理解してくれた方が『そのままでいい』と言って下さったのです。その言葉にどれほどの安心をいただいたことでしょう。
その後も息子の吃音は続いています。調子が良い日もあれば、悪い日もあります。悩みがなくなったわけでもありません。それでも、一度いただいた『そのままでいい』という言葉は、吃音と向き合う私たち親子をあたたかく包み込んでくれているように思います。
私は、息子や家族のこと等で悩み、多くのことを他者と比べて思い煩い、色々な思いを抱えています。自分ではどうすることもできない問題を抱え、思い通りにならないことに悩み、苦しむ私の姿を、親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫」とお示しくださいます。
その私の全てを見通した上で阿弥陀さまは、そのまま救うとはたらいてくださっていると聞かせていただきます。そのままの私をおさめ取って捨てないと誓われた阿弥陀さまから安心をいただきながら、お念仏申す日々を過ごさせていただいています。
私の四歳になる息子は、昨年の八月頃から吃音(どもり)の症状が出るようになりました。症状が強い時には顔や体に力が入り、口を尖らせ、顔を真っ赤にしても一言も出せず、『出ない。苦しい。』と訴えることもありました。普段お喋りな息子がそのことを訴える度に、私は落ち込み、悩み、落ち着かない日々を過ごしていました。
十二月に入り、吃音専門医師の先生に直接息子を診てもらえるご縁をいただきました。自身も吃音症状を抱えるその先生は、息子の吃音を診るために、しばらく色々なことを質問したり、息子の話を聞いたりしておられました。最後に先生は『私も君と同じ話し方だよ。君と同じ話し方の子は、他にもたくさんいるんだよ。君はそのままでいいんだよ。』と言って下さいました。先生がその日話して下さったことは、本に書かれていることと変わらないものでした。ですが、息子を直接見て、息子の吃音症状や様子、悩みに耳を傾け、自分ではどうすることもできない吃音を抱える息子を理解してくれた方が『そのままでいい』と言って下さったのです。その言葉にどれほどの安心をいただいたことでしょう。
その後も息子の吃音は続いています。調子が良い日もあれば、悪い日もあります。悩みがなくなったわけでもありません。それでも、一度いただいた『そのままでいい』という言葉は、吃音と向き合う私たち親子をあたたかく包み込んでくれているように思います。
私は、息子や家族のこと等で悩み、多くのことを他者と比べて思い煩い、色々な思いを抱えています。自分ではどうすることもできない問題を抱え、思い通りにならないことに悩み、苦しむ私の姿を、親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫」とお示しくださいます。
その私の全てを見通した上で阿弥陀さまは、そのまま救うとはたらいてくださっていると聞かせていただきます。そのままの私をおさめ取って捨てないと誓われた阿弥陀さまから安心をいただきながら、お念仏申す日々を過ごさせていただいています。
徳栄寺 大 野 義 雄
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