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新mp3法話 第121集 正法寺 志摩田真生「水平社宣言100年とロシアによるウクライナへの軍事侵攻に思うこと」
mp3法話の第121集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第121集 「水平社宣言100年とロシアによるウクライナへの軍事侵攻に思うこと」 音声版ダウンロード
第121集「水平社宣言100年とロシアによるウクライナへの軍事侵攻に思うこと」 PDF版ダウンロード
正法寺 志 摩 田 真 生
◎広報部
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
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仏様のおはなし新シリーズ 第121集 「水平社宣言100年とロシアによるウクライナへの軍事侵攻に思うこと」 音声版ダウンロード
第121集「水平社宣言100年とロシアによるウクライナへの軍事侵攻に思うこと」 PDF版ダウンロード
正法寺 志 摩 田 真 生
◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第121集 「水平社宣言100年とロシアによるウクライナへの軍事侵攻に思うこと」
私たちは、「御同朋の社会をめざして」という目標を掲げて活動しています。御同朋とは、阿弥陀如来に願われているいのち。すなわち「違いを超えたすべてのいのちが尊ばれる世界をめざす」歩みだといただきます。
「日本初の人権宣言」と謳われる水平社宣言から、3月3日で100年が経ちました。私たちの何が変わり、何が変わっていないのかをここで話そうと思っていました。
先日2022年2月24日、ロシアはウクライナに軍事侵攻を始めました。戦争は、人権侵害です。戦争は、人権抑圧です。戦争は、人命軽視です。いかなる理由を以てしても、戦争を肯定してはなりません。過去の戦争協力の反省に立ち続ける私たちは、声を上げ続けなければなりません。
3月1日に張り替えたお寺の掲示板には、「軍事力という名の、暴力。」と書いています。横に小さく、「だ~れもすくわれん」と書き足して。みんな、とっくにわかっています。暴力では誰も救えない。軍事力で得られる安心とは、それがわずかでも行使された瞬間から消し飛んでしまうものです。アジア・太平洋戦争の終戦から77年を経た今も、行使した側された側、双方に傷は遺り続けています。
3月7日現在、ウクライナでは軍だけではなく、国民に呼びかけて抵抗を続けています。そのニュースに触れたとき、私はウクライナの人たちに「銃を持ってはいけない」とは、言えない気持ちになりました。私が今あそこにいたら、どうするだろうか?今と同じように声を上げることができるだろうか?自らに問いかけ、頭を抱えています。一刻も早く平和が訪れることを願いますが、願うことしかできない我が身の無力さを感じずにはいられません。
しかし、たとえ今は願うことしか、声を出すことしかできないとしても、一人ひとりの平和を願う声が思いが、暴力の連鎖を断ち切ることを諦めません。届くまで、声を出し続けていきます。
あらためて水平社宣言の「人の世に熱あれ、人間に光あれ」の言葉をかみしめて歩み続けます。
私たちは、「御同朋の社会をめざして」という目標を掲げて活動しています。御同朋とは、阿弥陀如来に願われているいのち。すなわち「違いを超えたすべてのいのちが尊ばれる世界をめざす」歩みだといただきます。
「日本初の人権宣言」と謳われる水平社宣言から、3月3日で100年が経ちました。私たちの何が変わり、何が変わっていないのかをここで話そうと思っていました。
先日2022年2月24日、ロシアはウクライナに軍事侵攻を始めました。戦争は、人権侵害です。戦争は、人権抑圧です。戦争は、人命軽視です。いかなる理由を以てしても、戦争を肯定してはなりません。過去の戦争協力の反省に立ち続ける私たちは、声を上げ続けなければなりません。
3月1日に張り替えたお寺の掲示板には、「軍事力という名の、暴力。」と書いています。横に小さく、「だ~れもすくわれん」と書き足して。みんな、とっくにわかっています。暴力では誰も救えない。軍事力で得られる安心とは、それがわずかでも行使された瞬間から消し飛んでしまうものです。アジア・太平洋戦争の終戦から77年を経た今も、行使した側された側、双方に傷は遺り続けています。
3月7日現在、ウクライナでは軍だけではなく、国民に呼びかけて抵抗を続けています。そのニュースに触れたとき、私はウクライナの人たちに「銃を持ってはいけない」とは、言えない気持ちになりました。私が今あそこにいたら、どうするだろうか?今と同じように声を上げることができるだろうか?自らに問いかけ、頭を抱えています。一刻も早く平和が訪れることを願いますが、願うことしかできない我が身の無力さを感じずにはいられません。
しかし、たとえ今は願うことしか、声を出すことしかできないとしても、一人ひとりの平和を願う声が思いが、暴力の連鎖を断ち切ることを諦めません。届くまで、声を出し続けていきます。
あらためて水平社宣言の「人の世に熱あれ、人間に光あれ」の言葉をかみしめて歩み続けます。
正法寺 志 摩 田 真 生
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