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浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所

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2022/09/06

新mp3法話 第127集 法泉寺 佐々木 朋信「苦しみごと包んで」

mp3法話の第127集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。

本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。

仏様のおはなし新シリーズ 第127集 「苦しみごと包んで」 音声版ダウンロード
第127集「苦しみごと包んで」 PDF版ダウンロード
法泉寺 佐 々 木 朋 信

◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第127集 「苦しみごと包んで」

 女優の芦田愛菜さんがあるインタビューで「信じるとは?」という質問に対しての応えが印象に残りましたので紹介いたします。

『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて。
だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんです。
 
 私はこの記事を読んだ時「確かに」と納得しました。私もよく人のことを信じようと思って信じてみるものの、裏切りや期待外れだと思えてしまうことが多々ありました。
 人には様々な一面があります。しかし、自分の固定観念で勝手に相手を決めつけてしまい、他の一面を見ようとしていないことがあります。そして、自分の固定観念と違った時に裏切られたと思い、自分自身を苦しめています。自分の固定観念でしか見ることができないことを「我見・我執」と言い、「煩悩」の元のことを言います。
 この煩悩は、命終えるその時までもちつづけております。煩悩によって苦しんでいる私を、決して見捨てることなく、必ず救うと誓われたのが阿弥陀様であります。
 阿弥陀様はお慈悲によって、その苦しみごと包みこんで支えてくださる仏様であります。阿弥陀様のお救いに摂め取られた私は、そのお救いをこの眼でみることはできません。けれども、大悲のお救いは、決して休むこともなく、怠ることもなく、常に照らしてくださり、この私を支えつづけてくださります。

≪ 2022年度福岡組報恩講法要日程ホーム新mp3法話 第126集 光専寺 城 顕慈「母の姿」  ≫

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