浄土真宗本願寺派 福岡組 情報配信所
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新mp3法話 第132集 光圓寺 圓日耕也「分断された世に生きる」
mp3法話の第132集をお届けいたします。
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
タイトルをクリック下さるとダウンロードが始まります。
また、下段「PDF版ダウンロード」をクリックすると、A4版でカード風に印刷してお使いいただけるようなPDFファイルがダウンロードできます。
本記事最後、右下の「続きを読む >>」をクリックいただきますと音声と同じ法話が文字でご覧いただけます。
仏様のおはなし新シリーズ 第132集 「分断された世に生きる」 音声版ダウンロード
第132集「分断された世に生きる」 PDF版
光圓寺 圓 日 耕 也
◎広報部
MP3形式で3MB程度(3分前後)の大きさです。
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仏様のおはなし新シリーズ 第132集 「分断された世に生きる」 音声版ダウンロード
第132集「分断された世に生きる」 PDF版
光圓寺 圓 日 耕 也
◎広報部
仏様のおはなし新シリーズ 第132集 「分断された世に生きる」
コロナ下以来「久しぶりですね。お元気でしたか」という挨拶が合言葉となりました。先日、私のおります寺でかつて主催しておりましたある会合に参加しておられた方から、突然お電話をいただきました。受話器の向こうの、前と変わらぬ元気な声に懐かしさでいっぱいとなりました。コロナが世界に蔓延して人との交流がなくなりました中でのお声に励まされたことでした。
さて、ウクライナへのロシアの侵攻が始まって約一年となりました。報道される現地の戦禍に悲しい現実を突きつけられた一年間でした。
私たちは誰しも平和共存を願いながらも、現実は悲惨な戦争と対立の中に生きています。『人類は平和の歴史ではなく戦争の歴史である』と学者が言われるとおりです。釋尊がお経の中で言われた「兵戈無用」という言葉も、対立の中でしか生きていけないご自身への戒めも含めた上での教えではなかったかと最近思わされています。
コロナ下を契機として、あらゆる領域でますます人々の孤立化が進み、交流が滞っています。また、ウクライナでの戦争がもっと大きな対立、戦争へと発展するのか、予測不可能な状態が続いています。そんな状況下でわが国もなし崩し的に敵基地攻撃能力の保有などと現政権が打ち出してきました。
このような時代だからこそ、先の世界大戦の惨禍への反省から成立した、戦争放棄の文言を明記した憲法九条の精神に学ぶことが、今最も大切なことであります。
お経に「濁世」とありますように、私たちが生きるこの世はエゴイズムに満ち溢れています。残念ながら平和への道ははるか遠くにしかありません。しかし、そのことを見据えた上で「兵戈無用」の教えに立ち返り、焦ることなく諦めることなく、終わりのない歩みを進めていくことが私たち仏教徒に課せられた今の責務ではないかと思います。
コロナ下以来「久しぶりですね。お元気でしたか」という挨拶が合言葉となりました。先日、私のおります寺でかつて主催しておりましたある会合に参加しておられた方から、突然お電話をいただきました。受話器の向こうの、前と変わらぬ元気な声に懐かしさでいっぱいとなりました。コロナが世界に蔓延して人との交流がなくなりました中でのお声に励まされたことでした。
さて、ウクライナへのロシアの侵攻が始まって約一年となりました。報道される現地の戦禍に悲しい現実を突きつけられた一年間でした。
私たちは誰しも平和共存を願いながらも、現実は悲惨な戦争と対立の中に生きています。『人類は平和の歴史ではなく戦争の歴史である』と学者が言われるとおりです。釋尊がお経の中で言われた「兵戈無用」という言葉も、対立の中でしか生きていけないご自身への戒めも含めた上での教えではなかったかと最近思わされています。
コロナ下を契機として、あらゆる領域でますます人々の孤立化が進み、交流が滞っています。また、ウクライナでの戦争がもっと大きな対立、戦争へと発展するのか、予測不可能な状態が続いています。そんな状況下でわが国もなし崩し的に敵基地攻撃能力の保有などと現政権が打ち出してきました。
このような時代だからこそ、先の世界大戦の惨禍への反省から成立した、戦争放棄の文言を明記した憲法九条の精神に学ぶことが、今最も大切なことであります。
お経に「濁世」とありますように、私たちが生きるこの世はエゴイズムに満ち溢れています。残念ながら平和への道ははるか遠くにしかありません。しかし、そのことを見据えた上で「兵戈無用」の教えに立ち返り、焦ることなく諦めることなく、終わりのない歩みを進めていくことが私たち仏教徒に課せられた今の責務ではないかと思います。
光圓寺 圓 日 耕 也
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